あーーあ、観ない方がいいよって、あんだけ言ったのに……
言うこと聞かないんだから、もう!!


21世紀初の冒険
 
 
大阪で冒険する

 



相変わらず突然、ナニもエバってのたまうことも無いのだけれど……、私は病的な上方落語好きである。
でだ、21世紀の初詣は、何がなんでも生国魂神社へ行かねばならぬっ!と思い立ったように見受けられたのだった。(←ねぇ、この誰が主語なんだか分からない書き方、なんとかせー)

さて、こっから下は扇で見台を叩きながら、講釈調にやるといいかもしれない。(←なんで、読み方まで強要すんだよっ!)

そぉもそも上方落語のはじまりは、慶長改まって元和元年5月7日、大閣秀吉の前で安楽庵策伝なるものが説話をしたもうた。安楽庵策伝は浄土宗の説教僧、辻咄が非常に上手なれば、醒睡笑という七巻の書物を記したもうて、寛永19年89歳でこれに没す。
時同じくして曾呂利新左衛門もまた大閣秀吉の前にて噺つとめるが、寛永20年策伝の死の翌年に死するかな。
次に現れたるが露の五郎兵衛、京都・四条の河原、北野の天満宮などで噺をす。
この頃、大阪では米沢彦八が生国魂神社の境内にて辻咄を始めたりぃ。

……というわけで、本当なら安楽庵策伝さんのお墓がある、京都・京極の誓願寺に詣でるのスジなんだけどさぁ、毎年彦八祭りというのを上方の噺家さんが寄ってたかって催していたり、それこそ今生きている上方の噺家さんが建てた碑があるとかいう、ミーハーな目論見があったり、
「そーいやぁ、井原西鶴が一昼夜に4000句を詠む大矢数俳諧を興行したのもここじゃなかったっけ?」
的思い入れとともに行って来たのである。
落語に興味のないムキには、なぁーんにも面白いことない上に、単なる写真置き場っていうか、ネタの孵化場所として使っているだけのことなので、さっさとお帰んなはれ
 
 

谷町九丁目の駅から歩いてすぐ、生国魂神社はちょこっと奥まったところにある。
米沢彦八の碑ってのはこれ。
三田純市さんがナニを書いているのか興味のある方は、右の写真をクリックすれば拡大バージョンがご覧になれます。→
これがね、現役噺家が建てた碑で……
←これもクリックすると、どんなことが書いてあるのか読めたりします。
これが井原さん。(←って馴れ馴れしい)



 

ほぉーらね、もれなく後悔したでしょ?
人生はそんなもんよ。(←意味不明)


ぼうけんこぞう